俳人名鑑

相生垣瓜人 (あいおいがき かじん)

 明治31年(1898)〜昭和60年(1985)86歳。兵庫県生まれ。

 水原秋桜子に師事。昭和8年「馬酔木」同人。百合山柱と「海坂」を創刊主宰。馬酔木賞・第10回蛇笏賞受賞。*東京美術学校(現東京芸術大)出身

 句集:『微茫集』『明治草』『負暄』『相生垣瓜人全句集』ほか

   荒海の秋刀魚を焼けば火も荒ぶ

   家にゐても見ゆる冬田を見に出づる

   死に切らぬうちより蟻に運ばるる

   黴し物錆びたる物と寂かなり

   寒鯉の怫然たるを売買す

 

相子智恵(あいこ ちえ)

 昭和51年(1976)長野県生まれ。東京都在住。 「澤」

小澤實に師事。平成12年「澤」入会。同人。平成15年第3回澤新人賞・第55回角川俳句賞・第13回田中裕明賞・第46回俳人協会新人賞受賞。

 句集:『呼応』

    阿修羅三面互ひ見えずよ寒の内 

    一滴の我一瀑を落ちにけり

    阿形の口出て銀漢や吽形へ

    群青世界セーターを頭の抜くるまで

 

相原左義長 (あいばら さぎちょう)

大正15年(1926)〜平成30年(2018)91歳。 愛媛県生れ。 「虎杖」代表・「海程」

 川本臥風主宰「いたどり」で編集を担当した。「虎杖」代表。昭和60年より金子兜太に師事。「海程」同人。第10回加美俳句大賞(スウェデン)・平成21年愛媛県教育文化賞受賞。

 句集:『天山』『表白』『地金』ほか

    父となら酒も豆腐も冷やでいい 

    被爆図の前に被爆の身をさらす

    被爆せし身にて戦前戦後なし

    ヒロシマに残したま丶の十九の眼

    爆心地へ花を届けし少年老ゆ

 

青柳志解樹(あおやぎ しげき)

 昭和4年(1929)〜令和3年(2021)92歳。 長野県生れ。 「山暦」創刊主宰。      
 原コウ子に師事。昭和28年「寒雷」に投句。昭和32年「鹿火屋」に入会。同人を経て昭和54年「山暦」創刊。俳人協会顧問。鹿火屋賞・第32回俳人協会賞・第3回与謝蕪村賞受賞。※旧制東京農大専門部出身。

 句集:『耕牛』『杉山』『山暦』『楢山』『山霊樹魂』『松は松』『麗江』『花顔』『四望』『里山』『冬木の桜』

    年惜しむ手紙の束を火に投じ

    たんぽぽの絮ふるさとを出奔す

    月光へ目覚めて繭の中にあり

    月の夜の山煌々と枯るるなり

    堂々と老いて冬木の桜かな

       

 

青山茂根 (あおやま もね)

 昭和41年(1966) 茨城県生れ。 東京都在住。 「銀化」「豈」

 中原道夫に師事。平成5年より作句。「港」を経て平成10年「銀化」創刊に参加。同人。平成18年「豈」同人。港新人賞・第1回銀化新人賞受賞。

 句集:『BABYLON』

    最果ての地にも布団干されけり

    バビロンへ行かう風信子(ヒヤシンス)咲いたなら

    湯豆腐に瓦礫ののこる寧けさよ

 

赤石憲彦 (あかいし のりひこ)

 昭和6年(1931)〜平成25年(2013)81歳。 北海道生れ。東京都在住。 「俳句未来同人」代表 

 「浮標」編集同人.「風涛」同人を経て「俳句未来同人」代表

 句集:『鬼贐』『愛蘭抄U』ほか

     寒星が溢れ出す間に絵を描けよ

     群青の目刺しは母を咥えたり

 

赤尾恵以 (あかお えい)

 昭和5年(1930) 兵庫県生れ。 「渦」主宰

 

 夫は赤尾兜子。母は「天狼」同人の中原冴女。兜子の急逝により昭和56年「渦」を継承。

 句集:『秋扇』『春意』『マズカル』『春隣』『交響』『譚詩曲』

 

    オペラ座の序曲始まる秋扇

    指揮棒を振り下したる大花野

    マズカルを弾きこなし得ず塩汁鍋

    月に乾杯地球傾きつつ廻る

 

赤尾兜子 (あかお とうし)

 大正14年(1925)〜昭和56年(1981)56歳。 兵庫県生れ。 「渦」創刊主宰

 

 俳句は大阪外語時代に始め、岡本圭岳の「火星」に17歳で入会。かたわら「馬酔木」にも投句。京大在学中に「太陽系」の同人に推された。「火山系」「薔薇」の主要同人。昭和30年「坂」創刊。昭和35年「渦」創刊。「俳句評論」創刊同人。第9回現代俳句協会賞・神戸市文化賞・兵庫県文化賞受賞。※京都帝大文学部中国文学科出身

 句集:『蛇』『虚像』『歳華集』『玄玄』『稚年記』『』『赤尾兜子全句集』

    鉄階にいる蜘蛛智慧をかがやかす

    音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢

    広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み

    毒人参ちぎれて無人寺院映し

    戦どこかに深夜水のむ嬰児立つ

    瀕死の白鳥古きアジアの菫など

    機関車の底まで月明か 馬盥

    花から雪へ砧打ちあう境なし

    帰り花鶴折るうちに折り殺す

    空鬱々さくらは白く走るかな

    大雷雨鬱王と会うあさの夢

    心中にひらく雪景また鬼景

 

赤城さかえ (あかぎ さかえ)

 明治41年(1908)〜昭和42年(1967)58歳。 広島県生れ。 

 父は藤村 作(東大名誉教授)。東大在学中に共産党の地下運動に参加し自然退学。新俳句人連盟に加入。「寒雷」,「俳句人」同人※旧制山形高校(現山形大学)出身 東大に学ぶ。

句集:『浅蜊の歌』『赤城さかえ句集』『赤城さかえ全集』   著作:『戦後俳句論争史』

      秋風やかかと大きく戦後の主婦

      霧の夜のさよなら彼に闘志もどれ

      咽ぶごと雑木萌えおり多喜二忌以後

      渡り鳥幾千の鈴ふらし過ぐ

      たんぽぽの黄を挿して愛ず一コップ

 

赤松寰q (あかまつ けいこ)

 

昭和6年(1931)〜平成24年(2012)81歳。 広島県生れ。山口県在住。 「雪解」

 皆吉爽雨に師事。女学校時代から俳句を始める。。「雪解」同人会長。第7回雪解賞・第15回俳人協会賞・平成6年山口県選奨(芸術文化功労)受賞。※旧制広島県立第一高女を経て広島有朋高校出身。

 句集:『子菩薩』『白亳』『天衣』『散華』『月幽』『海戀』『佩香』 

    ひろしまの牡蠣の一眼づつ啜る

    

    切手六ペンス落葉の便りして

    

    眠りみなこの世にさめて櫻どき

    吊革に千手きらめき原爆忌

 

秋尾 敏 (あきお びん)

昭和25年(1950) 埼玉県生れ。「軸」主宰・「吟遊」

 

 父は俳人の河合凱夫。凱夫没後,主宰誌「軸」を継承。第11回現代俳句評論賞・第75回現代俳句協会賞受賞 

 句集:『私の行方』『納まらぬ』『ア・ラ・カルト』『悪の種』『ふりみだす』  著作:『虚子と「ホトトギス」』『子規の近代』『ふりみだす』

     囀や日本というホームレス

     黒揚瀦翌フ隙間に納まらぬ

     からない道が分かれる春の山

     遠い約束ひまわりに火を貰う

 

秋澤 猛 (あきざわ たけし)

 

 明治39年(1906)〜 昭和63年(1988)82歳。 秋田県生。「氷壁」主宰

 秋元不死男に師事。「馬酔木」などを経て昭和27年「氷海」入会、同人。のち「狩」同人を経て「氷壁」創刊。山形県芸文会議賞・第26回斎藤茂吉賞受賞。

 句集:『寒雀』『海猫』ほか

     鯉のぼり布の音立て裏日本

     吹雪ごうごう「永らくお世話になりました」

     豊年や死者にこにこと担がれて

     コスモスのむかふ向けるは泣けるなり

 

秋元不死男(あきもと ふじお) *旧名 東 京三

 明治34年(1901)〜昭和52年(1977)75歳。  神奈川県生れ。「氷海」創刊主宰・「天狼」同人
 島田青峰に師事。「土上」に参加。西東三鬼らと「天香」を創刊。昭和16年俳句事件で検挙、投獄される。戦後東京三を秋元不死男に改名.三鬼の紹介で私淑する誓子の「天狼」創刊に参加。昭和24年「氷海」を創刊主宰。現代俳句協会や俳人協会の創立に尽くす。第2回蛇笏賞受賞。

 句集:『街』『瘤』『万座』『甘露集』ほか 著作:『俳句入門』ほか

    寒(さむ)や母地のアセチレン風に欷(な)き

    鳥わたるこきこきこきと罐切れば

  

    蝿生れ早や遁走の翅使ふ

    吸殻を炎天の影の手が拾ふ

    へろへろとワンタンすするクリスマス

    すみれ踏みしなやかに行く牛の足

    冷されて牛の貫禄しづかなり

    ライターの火のポポポポと滝涸るる

    蛇消えて唐招待寺裏秋暗し

    わが骨を見てゐる鷹と思ひけり

 

芥川龍之介 (あくたがわ りゅうのすけ)*俳号:我鬼・澄江堂

 明治25年(1892)〜昭和2年(1927)35歳。東京生れ。

 はじめホトトギスに投句。すぐ中止して室生犀星、小島政二郎らと作句。又古俳句も学ぶ・句作活動10余年で約560句を残している。《句は虚子に比べられてもよろしく候》と云うほど自信を持っていた。*東京帝大英文学科出身

 句集:『澄江堂句集』『芥川龍之介句集』

    木がらしや東京の日のありどころ

    木がらしや目刺にのこる海の色

    蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな

    元日や手を洗ひをる夕ごころ

    水洟や鼻の先だけ暮れ残る

 

明隅礼子 (あけずみ れいこ)

 昭和47年(1972) 滋賀県生れ。東京都在住。  「天為」 

 有馬朗人に師事。平成4年東大学生俳句会入会。平成5年「天為」 入会、同人。夫は俳人の日原傳氏。天為新人賞・第30回俳人協会新人賞受賞。

 句集:『星槎』

     初御空みづのあふみの揺るぎなし

     虫売の黙つて虫を鳴かせけり

     鳥渡る子は友の名を書きつらね

     焼きし畦踏めばざくざく霜めきぬ

 

浅井一邦 (あさひ かずくに)

 昭和18年(1953) 愛知県生れ。

 

 高校時代から小川双々子に師事。元「地表」・「俳句評論」同人・第1回地表賞・昭和46年度中部日本俳句作家会賞(長い歴史をもつこの会ではじめての20代作家の受賞)。

 句集:『幻実歌』『風学歌』『火宙歌』『天天小歌』『浅井一邦全句集』

      

    老いの手に水を束ねる晩夏かな

    霧をゆく黒衣の下に白衣着て

    臍の緒に風乾きゆく秋祭

    晴天をかはほりがとぶ骨きれいに

    麦秋の遠き一人を手で潰し

 

      

あざ蓉子(あざ ようこ)

 

 昭和22年(1947) 熊本県生れ。 「花組」主宰・「船団」

 

 昭和54年穴井太の「天籟通信」に入会。「豈」を経て「船団」「花組」。平成2年九州俳句賞・第6回中新田俳句大賞スエーデン賞・第57回現代俳句協会賞受賞

 句集:『夢数へ』『ミロの島』『猿楽』『天気雨』    

      人間へ塩振るあそび桃の花

      空海と水蜜桃の天気かな 

      愛人を水鳥にして帰るかな

      春昼に体を入れて立ててをり

      月光をずらして箱をしまいけり

 

安住 敦 (あずみ あつし)

 明治40年(1907)〜昭和63年(1988)81歳。 東京生れ。 「春燈」主宰。

 

 富安風生、日野草城、久保田万太郎に師事。冨安風生の「若葉」に投句。昭和10年日野草城の「旗艦」に参加。戦後、昭和21年久保田万太郎の「春燈」創刊に参画。万太郎没後,主宰を継承。俳人協会設立発起人。俳人協会会長歴任。第6回蛇笏賞受賞。

 句集:『まづしき饗宴』『古暦』『暦日抄』『午前午後』『柿の木雑唱』『柿の木坂雑唱以後』  著作:『橡の木の陰で』ほか

     くちすへばほほづきありぬあはれあはれ

     雁啼くやひとつ机に兄いもと

     てんと蟲一兵われの死なざりし

     ランプ売るひとつランプを霧にともし

     しぐるるや駅に西口東口

     晝の月あはれいろなき祭かな

     啄木忌いくたび職を替へてもや

 

 

穴井 太 (あない ふとし) 

 昭和元年(1926)〜平成9年(1997)71歳。 大分県生れ。福岡県在住。 「天籟通信」主宰・「海程」

 横山白虹に師事。昭和29年「自鳴鐘」入会。益田清と「未来派」を創刊。昭和38年「海程」に参加、同人。昭和40年「天籟通信」創刊。第4回海程賞・第20回現代俳句協会賞受賞。※中央大学専門部経済科出身

 句集:『鶏と鳩と夕焼けと』『土語』『ゆうひ領』『原郷樹林』ほか

     ゆうやけこやけだれもかからぬ草の罠

     還らざる者らあつまり夕空焚く

     死ぬまで戦後よじれて残る縄の灰

     夕焼雀砂あび砂に死の記憶

     藁の村へ灯を消しに行く終列車 

     雁啼くやひとつ机に兄いもと

 

阿部完市 (あべ かんいち)

 

 昭和3年(1928)〜平成21年(2009)81歳。 東京都生れ。埼玉県在住。 「海程」「未完現実」「件」同人

 

 昭和25年病院の俳句グループで俳句を始める。「青玄」,「未完」などを経て、昭和37年金子兜太の「海程」に同人参加。浦和神経サナトリウム理事長・精神科医。第17回現代俳句協会賞・第3回海程賞・第9回現代俳句大賞受賞。※旧制金沢医大医学専門部(現・金沢大医学部)出身。

 句集:『無帽』『絵本の空』『にもつは絵馬』『春日朝歌』『純白諸事』『軽のやまめ』『地動説』『阿部完市俳句集成』『水売』  著作:『俳句幻形』『俳句心景』『絶対本質の俳句論』     

    少年来る無心に充分に刺すために

    ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん

    兎がはこぶわが名草の名きれいなり

    栃木にいろいろ雨のたましいもいたり

    木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど

    大傘さして柿の山からみやこへかえる

    

    ぽると海という海がみたくておよぐ

    精神はぽつぺんは言うぞぽつぺん

    豊旗雲の上に出てよりすろうりい

 

阿部青鞋 (あべ せいあい)

 大正3年(1914)〜平成元年(1989)74歳。東京生れ。 
 渡辺白泉らの「風」に参加。戦時中新興俳句が弾圧されると古典俳諧の研究に没頭した。昭和38年「瓶」創刊。「八幡船」「対流」「羊歯」同人。第30回現代俳句協会賞受賞。

 句集:『火門集』『続火門集』『ひとるたま』ほか

     梟の目にいつぱいの月夜かな

     金屏風立てて咲きたるすみれかな

     砂浜が次郎次郎と呼ばれけり

     半円をかきおそろしくなりぬ

     あんぱんのあんを見て食ふ二月かな

 

阿部みどり女 (あべ みどりじょ)

 

 明治19年(1886)〜昭和55年(1980)93歳。北海道生れ。東京在住。 「駒草」主宰
 虚子に師事。大正4年「ホトトギス」初入選。以後雑詠欄に初期の女流進出の担い手の一人となった。ホトトギス同人。昭和6年虚子の許可を得て「駒草」を創刊。仙台市政功労賞・宮城県芸術文化賞・第12回蛇笏賞受賞。

 句集:『笹鳴』『微風』『光陰』『雪嶺』『陽炎』『月下美人』『石蕗』ほか 著作:『冬虫夏草』『四季の心』ほか

      秋風や石積んだ馬の動かざる

      すこやかな五体を没し芒折る

      光陰は竹の一節蝸牛

      月下美人力かぎりに更けにけり

      ほうたるに逢はず山河のほのぼのと

      九十の端(はした)を忘れ春を待つ

 

雨宮きぬよ (あめみや きぬよ)

 昭和13年(1938) 静岡県生れ。神奈川県在住。 「竅v共同代表

 殿村菟絲子に師事。昭和46年「万蕾」創刊に参加。同人。平成8年「百磴」創刊主宰。平成25年「百磴」を解散し同人誌「竅vを創刊。橋本栄治と共同代表に就く。 

 句集:『白妙』『雨後』『水碧』『新居』

     影負うてうつし世に立つ雛かな

     夕景の見えて来たりし浴衣かな

     母が言ふむかしむかしの露けしや

     ひとりづつみんな消えたる花野かな

 

雨宮抱星 (あめみや ほうせい)

 昭和3年(1928)〜平成30年(2018)90歳。 群馬県生れ。 「草林」

 大塚楚江に師事。昭和21年「俳句と旅」同人。昭和42年「草林」創刊主宰。昭和50年河野南畦の「あざみ」に同人参加。群馬県俳句作家協会会長を歴任。群馬県文化奨励賞・妙義町文化功労賞受賞。

 句集:『妙義路』『妙義春秋』『一白』

     一歩またいっぽをしかと大旦

     鬼瓦座り大暑のかがやける

     木々芽吹く己の彩となる兆し

 

飴山 實 (あめやま みのる)

 昭和元年(1926)〜平成12年(2000)73歳。 石川県生れ。山口県在住。
 沢木欣一の「風」に投句。「風」同人。昭和40年代に無所属。山口大学名誉教授。応用微生物学者。昭和63年「酢酸菌の生化学的研究」で日本農芸化学会功績賞受賞。※旧制四高・京都帝大農学部(農化)出身

 句集:『おりいぶ』『少長集』『辛酉小雪』『次の花』『飴山實全句集』  著作:『芝不器男伝』『酢の科学』

     小鳥死に枯野よく透く籠のこる

     釘箱から夕がほの種出してくる

     うつくしきあぎととあへり能登時雨

     なめくじも夕映えてをり葱の先

     大雨のあと浜木綿に次ぎ花

     残生やひと日は花を鋤こんで

 

綾部仁喜 (あやべ じんき)

 昭和4年(1926)〜平成27年(2015)85歳。 東京都生れ。「泉」顧問

 石田波郷に師事.昭和28年「鶴」入会。昭和49年「泉」創刊同人.のち主宰。平成26年主宰を退き顧問就任。第34回俳人協会賞・第23回俳句協会評論賞・第9回俳句四季大賞受賞。※國學院大學出身。

 句集:『山王』『撲簡』『寒木』『沈黙』  著作:『山王林だより』

     かたくりの花の韋駄天走りかな

     祭馬曳くも責むるもほいほいと

     いつまでもいつも八月十五日

     寒木を寒木として立たしめよ

     一本の芒の水を替へにけり

 

新谷ひろし (あらや ひろし)

 昭和5年(1930)〜令和2年(2020)89歳。 青森県生れ。群馬県在住・ 「雪天」主宰

 吹田孤蓮に師事。昭和22年「暖鳥」入会、編集長。「あざみ」同人。「暖鳥」継承主宰。平成18年「暖鳥」終刊。新しく「雪天」を創刊。青森県俳句懇話会顧問。暖鳥賞・第45回青森県文化賞受賞。※弘前高校出身。

 句集:『飛礫の歌』『大釈迦峠』『鐘の蝶』『萱生の村』『螢沢』『美貌妻』『砥取山』 

     下北のものいふ木々よ雪の中 

     稲妻やにんげん還る土照らす

     眼のごとく石乾きをり野火のあと

     水餅に唯々諾々と濁りけり

     撫子に誘はれ山へ入りたる

 

有馬朗人 (ありま あきと)

 昭和5年(1930)〜令和2年(2020)90歳。 大阪府生れ。東京都在住。 「天為」創刊主宰。
 山口青邨に師事。昭和25年「夏草」入会。28年同人。高橋沐石と「子午線」を創刊。平成2年「天為」創刊。夏草新人賞・夏草賞・第7回俳人協会賞・第2回日本詩歌句大賞・平成16年度加藤郁乎賞・第28回詩歌文学館賞・第17回俳句四季大賞・第59回毎日芸術賞・第52回蛇笏賞受賞。国際俳句交流協会長。俳人協会顧問・理学博士・東大名誉教授。専門の原子核物理学では華麗な経歴をもつが省略する。※旧制武蔵高・東大理学部物理学科・同大学院出身。

 句集:『母国』『知命』『天為』『耳順』『立志』『不稀』『分光』『鵬翼』『流轉』『黙示』

     水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も

     妻告ぐる胎児は白桃程の重さ

     草餅を焼く天平の色に焼く

     あかねさす近江の国の飾臼

     光堂より一筋の雪解水

     漱石の脳沈みゐる晩夏かな

     生も死もひよいと来るもの返り花

     唐紙を開けば月の真葛原

     いづこにも釈迦ゐる国の朝涼し

     混沌に口を開けたる海鼠かな

 

有馬ひろ子 (ありま ひろこ)

昭和4年(1929)〜令和5年(2023)94歳。 東京都生れ。 「天為」

 深川正一郎に学び、山口青邨に師事。有馬朗人と結婚後20年以上句作中断。のち再開して「天為」副主宰を努める。第3回夏草新人賞受賞。

 句集:『ザビエル祭』『ルオーの陽』『アールヌーヴォー』

     落葉掻く農婦もマリア子を背負ひ

     炎帝を連れて銀座へ乗り込みぬ

     底冷えの湖に沈める神話の斧

     春雪にピエタのマリア瞼腫れ

 

阿波野青畝 (あわの せいほ)

 明治32年(1899)〜平成4年(1992)93歳。 奈良県生れ。 「かつらぎ」名誉主宰。
 虚子に師事。「ホトトギス」同人。秋桜子、誓子、青邨ともに四Sの一人。昭和4年「かつらぎ」を創刊主宰。のち、森田 峠に主宰を譲る。大阪俳人クラブ会長(初代)歴任。俳人協会顧問。第7回蛇笏賞・大阪芸術賞・第7回詩歌文学館賞など受賞。※旧制畝傍中学(現奈良県立畝傍高校)出身

 句集:『万両』『国原』『春の鳶』『紅葉の宴』『甲子園』『旅塵を払ふ』『不勝簪』『あなたこなた』『除夜』『西湖』『宇宙』『一九九三年』『阿波野青畝全句集』

     さみだれのあまだればかり浮御堂 

     葛城の山懐に寝釈迦かな

     住吉にすみなす空は花火かな

     水澄みて金閣の金さしにけり

     水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首

     牡丹百二百三百門一つ

     月の山大国主命かな

     山又山山桜又山桜

     隙間風十二神将みな怒る

     初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり

 

安西 篤 (あんざい あつし)

 昭和7年(1932) 三重県生れ。東京都在住。 「西北の森」・「海原」代表

 金子兜太に師事。梅田桑孤の「胴」同人を経て昭和37年「海程」入会,同人.59年〜62年編集長。海程会会長。平成30年「海程」の後継誌「海原」の代表に就く。現代俳句協会顧問。平成3年海程賞・第69回現代俳句協会賞・第17回現代俳句大賞受賞.

 句集:『多摩蘭坂』『秋情』『秋の道』『素秋』  著作:『評伝金子兜太』『現代俳句の断想』

    多摩蘭坂ぶるんと寒の雲の坂 

    刎頚の友よ冬日を鶏と歩む

    国風(くにぶり)に朱鷺はしらしらかえります

    終戦忌皿をねぶれば鹹(しおはゆ)き

    秋情(あきごころ)花恋といい鳥愛(お)しといい

    秋の道(タオ)百を数える間に暮れる

    せりなずなごぎょうはこべら被曝せり

 

安東次男 (あんどう つぐお)

 大正8年(1919)〜平成14年(2002)82歳。 岡山県生れ。東京都在住。詩人。
 楸邨に師事。 第41回芸術選奨文部大臣賞・第12回詩歌文学館賞・第14回読売文学賞(評論)受賞。※旧制三高・東京帝大経済学部出身

 句集:『裏山』『昨』『花筧』『流』『安東次男全詩全句集』  著作:『澱河歌の周辺』『芭蕉七部集評釈』ほか

    この国を捨てばやとおもふ更衣 

    蜩といふ名の裏山をいつも持つ

    そもそものはじめは紺の絣かな

    なかぞらのものともならず烏瓜 

    花筧椎が本(もと)とは知られけり 

 

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