俳人名鑑

橋 關ホ (はし かんせき)

 明治36年(1903)〜平成4年(1992)89歳。石川県生れ。兵庫県在住。  「白燕」代表同人

 寺崎方堂に俳句,連句を学ぶ。昭和24年「白燕」創刊.「俳句評論」同人。神戸商大名誉教授。第18回蛇笏賞・第3回詩歌文学館賞受賞。※旧制四高・京都帝大学文学部英文学科出身

 句集:『雪』『朱明』『無刻』『風景』『荒栲』『卯』『和栲』『虚』『微光』『橋關ホ俳句選集』  著作:『俳句史大要』

     日輪も氷柱も呼吸始めたり

     百歳の尼と寝たるや真桑瓜顔

     顔じゆうを蒲公英にして笑うなり

     階段がなくて海鼠の日暮れかな

     菊匂ふ深きより水湧くごとく

     枯山を見るに枕を高くせり

     豪雪や母の臥所のかぐわしく

     銀河系のとある酒場のヒヤシンス

 

橋爪 鶴麿 (はしづめ つるまろ)

 昭和2年(1927)〜令和2年(2020)93歳。 東京都生れ。 「麥」

 中島珷雄に師事。昭和21年慶應義塾大学俳句研究会入会。同時に「麥」創刊に参加。同人。前会長の死去により昭和63年「麥」会長に就く。※慶應義塾大學出身。

 句集:『ゴンドラの月』『冬欅』『祈りの木』

     ひまわりを赤く塗っては慟哭す

     春の星おんぶの腕が首を巻く

     万歳は悲しき言葉鳥雲に

     滾るものあり日盛りの祷りの木 

 

橋本鶏二 (はしもと けいじ)

 明治40年(1907)〜平成2年(1990)82歳。 三重県生れ。「年輪」主宰。 

 虚子に師事。「ホトトギス」代表作家の一人。「雪」創刊.昭和32年「年輪」創刊主宰。四誌連合会(年輪・菜殻火・青・山火)を結成。鷹の秀句が多く‘鷹の鶏二’と呼ばれる。第21回俳人協会賞受賞。

 句集:『年輪』『松囃子』『山旅波旅』『朱』『鳥欅』『花袱紗』『汝鷹』『二つを一つのごとく』『鷹の胸』『聖顔』『欅』『橋本鶏二全句集』

       鳥のうちの鷹に生まれし汝かな

       鷹の巣や大虚に澄める日一つ 

       炎皆大地に沈む焚火かな

       雪渓の太き亀裂を人跨ぐ

       撃たれたる雉子日輪を放れつつ

       夜神楽はせまき畳をめぐるなり

 

橋本榮治 (はしもと えいじ)

 昭和22年 (1947)神奈川県生れ。 「馬酔木」「件」・「竅v代表。    

 水原秋桜子に師事。昭和51年「馬酔木」入会。昭和62年同人、編集長を務める。同人誌「琉」発行人。平成25年「百磴」と合併し「竅vを創刊。雨宮きぬよと共同代表。第19回俳人協会新人賞・第63回俳人協会賞受賞。

 句集:『麦生』『逆流』『放神』『瑜伽』 著作:『水原秋櫻子の100句を読む』

     遊行忌の川だらだらと流れけり

     紙魚走りゐる最澄に空海に

     卯の花腐し何も持たざる手が重し

     大航海時代終りし鯨かな

     肉食うてなにを耐へゐる残暑かな

 

橋本 直 (はしもと すなお)

 昭和42年(1967) 愛媛県生れ。 神奈川県在住。 「豈」「鬼」

 平成2年句作開始。「あざみ」入会。現在「豈」同人。「鬼」会員。

 句集:『符籙』

    熊蜂のはばたき風に間に合はず

    神奈川沖浪透かし蠅叩き

    どの靴も蝶踏んでくる新宿駅

 

橋本多佳子 (はしもと たかこ)

 明治32年(1899)〜昭和38年(1963)64歳。 東京都生れ。奈良県在住。  「天狼」・「七曜」主宰

 杉田久女に俳句の手ほどきを受ける。のち、山口誓子に師事。「天狼」同人参加。「七曜」創刊主宰。四Tのひとり、一代の美貌と才質に恵まれた女流俳人。昭和34年奈良文化賞受賞。

 句集:『海燕』『信濃』『紅絲』『海彦』『命終』『橋本多佳子句集・角川文庫版』『橋本多佳子全句集』

      月光にいのち死にゆくひとと寝る

      炎天の梯子昏きにかつぎ入る

      いなびかり北よりすれば北を見る

      夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟 

      螢籠昏ければ揺り炎えたヽす

      雪はげし抱かれて息のつまりしこと

      星空へ店より林檎あふれをり

      乳母車夏の怒涛によこむきに

      白桃に入れし刃先の種を割る

      月一輪凍湖一輪光あふ

      雪の日の浴身一指一趾愛(かな)し

 

橋本輝久(はしもと てるひさ)

 昭和14年(1939)広島県生れ。三重県在住。  「伊勢俳談会」

 高柳重信に師事。「俳句評論」等を経て同人誌「橋」「伊勢俳談会」。中部日本俳句作家会賞・第7回現代俳句協会新人賞・第19回三重県文化功労賞受賞。

 句集:『国見』『歳歳』『残心』

     東海に言語は澄めり春の雪

     鶏提げて熊野に雨を聴く夜かな

     奥志摩に天の日の棒突立てり

     秋さびしキリンと生まれ仰がるる

 

橋本美代子 (はしもと みよこ)

 大正14年(1925) 福岡県生れ。奈良県在住。 

 橋本多佳子の四女。「天狼」入会、誓子に師事。昭和35年天狼同人。「七曜」同人を経て堀内薫より主宰を継承。平成27年1月号(通算800号)をもって終刊を決定。俳人協会顧問。第7回天狼賞受賞。

 句集:『石階』『巻貝』『七星』『あくあ』『プラハの月』
     

     桜貝手に巻貝はポケットに

     水彩の水を描きし薔薇に捨つ

     雲の峯プール何処でも足が立つ

     白き蓮天意のままにひらきけり


 

橋本夢道 (はしもと むどう)

 明治36年(1887)〜昭和49年(1974)71歳。 徳島県生れ。 

 井泉水に師事。「層雲」に投句。戦後、栗林一石路と「旗」を発刊。俳句弾圧事件に連座、拘置所生活を送る。新俳句連盟を結成。

 句集:『無礼なる妻』『良妻愚母』『無頼の妻』『橋本夢道全句集』

     うごけば、寒い

     みつ豆をギリシヤの神は知らざりき

     無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ

     大戦起こるこの日のために獄をたまわる

     妻よ五十年吾(あ)と面白かつたと言いなさい

 

長谷川秋子 (はせがわ あきこ)

 大正15年(1926)〜昭和48年(1973)46歳。東京都生れ。埼玉県在住。 「水明」主宰。

 「水明」創刊の功労者(編集、発行人)、沢本知水の三女。長谷川かな女に師事。かな女の養子,博に嫁ぐも昭和45年離婚。かな女没後「水明」の主宰を継承する。秋子の生家が水明発行所であり、門前の小僧よろしく俳誌の運営、企画、編集などのむずかしさ厳しさを体感しながら育った。将に水明の主宰を継ぐべき宿命を背負っていたのである。美貌と才知を謳われたこの女流も宿痾の病には勝てず46歳の若さ急逝した。長男は作家、俳人の三田完(俳名:長谷川知水)※ 旧制立教高女出身。

 句集:『菊凪』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

    泰山木の花衰ふるときも激し

    冬ばらの影まで剪りしとは知らず

    雪をんなとならねば見えぬ雪の城

    飛ぶときの腑まで真白き母の鷺

    悲しむもの集れよ今落葉焚く

    生きることいそがねば雪降りいそぐ

    鳩吹いて見えざるものを信じたり

 

長谷川 櫂 (はせがわ かい)

 昭和29年(1954) 熊本県生まれ。神奈川県在住。  「古志」

 昭和54年平井照敏の「槙」に入会。のち退会して、飴山實に師事。平成5年「古志」創刊主宰。平成23年より若い人に主宰を譲る。第12回サントリー学芸賞・第54回読売文学賞受賞。

 句集:『古志』『天球』『果実』『蓬莱』『虚空』『松島』『初雁』長谷川櫂全句集』『新年』『富士』『鶯』『唐津』『柏餅』『吉野』『沖縄』『太陽の門』ほか 著作:『俳句の宇宙』『俳句的生活』ほか

      春の水とは濡れてゐるみづのこと

      冬深し柱の中の濤の音

      だぶだぶの皮のなかなる蟇

      淡海といふ大いなる雪間にあり

      虚空より定家葛の花かをる

      いくたびも揺るる大地に田植かな

 

長谷川かな女 (はせがわ かなじょ)

 明治20年(1887)〜昭和44年(1969)81歳 東京都生れ。埼玉県在住。  「水明」主宰

 夫は長谷川零余子。ホトトギスに投句。虚子に師事。のち「ホトトギス」を離脱。夫の死後、昭和5年「水明」を創刊主宰。近代女流俳人の草分け的存在。さいたま市名誉市民.埼玉文化賞受賞。

 句集:『竜胆』『雨月』『かな女句集』『胡笛』『川の灯』『牟良佐伎』

      古き帯しめて遊びし卯月かな 

      羽子板の重きが嬉し突かで立つ 

      竜胆の太根切りたる山刀

      冬ざれて焚く火に凹む大地かな

      西鶴の女みな死ぬ夜の秋

      生涯の影ある秋の天地かな

      竜胆枯れ叩く狐の尾がむらさき

      青柿落ちる女が墜ちるところまで

 

長谷川久々子 (はせがわ くぐし)  

 昭和15年(1940) 台北生れ。滋賀県在住。  

 夫は故・長谷川双魚。双魚没後「青樹」継承主宰。平成20年12月号(通巻730号)で終刊決定。飯田龍太に師事。第16回雲母賞・第11回俳人協会新人賞受賞。

 句集:『方円』『水辺』『光陰』『花香』

      誰が死んでも仙人掌仏花にはならず

      模糊として男旅する薄氷

      たましひの糸引くやうに桜しべ

      極寒の蓋とれば塩ねむりゐる

      雪しんと一人の音はすぐ消ゆる

 

長谷川双魚 (はせがわ そうぎょ)

 明治30年(1897)〜昭和62年(1987)89歳。 岐阜県生まれ。 「青樹」主宰

 飯田蛇笏,龍太に師事。昭和17年「雲母」入会。26年同人。昭和46年「青樹」主宰を継承。第6回山蘆賞・第20回蛇笏賞受賞。

 句集:『風形』『ひとつとや』  著作:『秀句鑑賞』『ことばの世界』ほか

     ひとり旅露けき白湯をのむごとし

     曼珠沙華不思議は茎のみどりかな

     初冬の木をのぼりゆく水のかげ

     ひとり世の遊びをせんと雪女郎

     雀の子一尺とんでひとつとや 

 

長谷川素逝 はせがわ そせい) 

 明治40年(1907)〜昭和21年(1946)39歳。 大阪生れ。*本籍:三重県

 鈴鹿野風呂、高浜虚子に師事。、京鹿子同人。のちホトトギス同人。「京大俳句」の創刊に参加するが後離脱。京大卒業後郷里三重県津市に帰り.「阿漕」創刊、「桐の葉」創刊主宰。砲兵将校として出征、この時代を詠んだ句集『砲車』でその名をしらしめた。*京都帝大文学部国文科出身

 句集:『砲車』『三十三才』『幾山河』ふるさと』『村』『暦日』『定本素逝句集』ほか

        ふりむけば障子の桟に夜の深さ

        圓光を著て鴛鴦の目をつむり

        わが馬をうずむと兵ら枯野掘る

        いくさゆゑうゑたるものら枯野ゆく

        大夕焼一天をおしひろげたる

        いちまいの朴の落葉のありしかな

 

波多野爽波 (はたの そうは)

 大正12年(1923)〜平成3年(1991)68歳。東京都生れ。大阪府在住。 「青」主宰。

 虚子に師事。昭和15年「ホトトギス」初投句で入選を果たす。昭和24年最年少で同人に推挙される。昭和28年「青」創刊主宰。関西の前衛派と交じわりつつ独自の道を歩んだ。※京都大経済学部出身

 句集:『舗道の花』『湯呑』『骰子』『一筆』『波多野爽波全集第一〜第二巻』

   冬空や猫塀づたひどこへもゆける

   金魚玉とり落しなば舗道の花

   箒木が箒木を押し傾けて

   掛稲のすぐそこにある湯呑かな

   骰子の一の目赤し春の山

   チューリップ花びら外れかけてをり

   西日さしそこ動かせぬものばかり

 

秦 夕美 (はた ゆみ)*旧俳名:高山夕美

 昭和13年(1938)〜令和5年(2023)84歳。 福岡県生。  「GA」主宰・「豈」 

 昭和33年「馬酔木」入会。昭和39年藤田湘子の「鷹」創刊同人。のち赤尾兜子「渦」に同人として招かれる。また藤原月彦と二人誌「巫朱華」に作品を発表。「豈」同人,「GA」主宰。第13回福岡市文学賞受賞。※日本女子大文学部国文学科出身。

 句集:『仮面』『泥眼』『勅使道』『孤独浄土』『恋獄の木』『万媚』『夢歸蝶駅』『失光遊世』『銀荒宮』『夢騒』『遊世鬼』『夢香志』『夢としりせば』『弧舟』『深井』『五情』『さよならさんかく』『金の輪』『雲』  著作:句文集『胎夢』・『季語への散歩』『赤黄男幻想』ほか

     月の出の背びれふるへてゐる兄(せうと)

     きさらぎの橋十五尺なすな恋

     海市あり別れて匂ふ男あり

     十六夜に夫を身篭りゐたるなり

     さりとても言葉は闇か春の闇

     一条の縄もてあます涅槃西風

     あかときの障子開けば前世あり

     遺影には遺影の月日金魚玉

     寒月や九品のどこに坐らうか

     春の雁きくは冥府のトテチテタ

 

八田木枯 (はった こがらし)

 大正14年(1925)〜平成24年(2012)87歳。 三重県生れ。東京都在住。  「鏡」

 長谷川素逝に師事。、橋本鶏二に学ぶ。若くしてその才能を認められた。青年俳句誌「ウキグサ」主宰。「牡丹」等の同人。昭和23年「天狼」創刊とともに山口誓子に師事。いち早く巻頭作家として脚光を浴びた。誓子に将来を嘱望されながら、昭和32年から20年間余も俳壇から姿を消した。52年「晩紅」創刊.62年「雷魚」創刊主宰。第60回現代俳句協会賞・第3回小野市詩歌文学賞受賞。

 句集:『汗馬楽鈔』『あらくれし月日の鈔』『天袋』『於母影』『夜さり』『鏡騒』
      

     汗の馬なほ汗をかくしづかなり

     箱に入るくぐつの髪は溢れけり

     かの夏の鐘下ろされて召されけむ

     戦死して蚊帳のまはりをうろつきぬ

     白桃や死よりも死後がおそろしき

     しらがみと言へば戀なり冷し葛

     月光が釘ざらざらと吐き出しぬ

     櫻見にひるから走る夜汽車かな

 

花谷和子 (はなたに かずこ)

 大正11年(1922)〜令和元年(2019)97歳。 大阪府生れ。 「藍」名誉主宰。 

 日野草城に師事。「青玄」「草苑」同人を経て昭和48年「藍」を創刊主宰。平成23年主宰を退き名誉主宰。大阪府芸術功労賞・第43回現代俳句協会賞・文部科学大臣表彰(地域文化功労者)受賞。※旧制府立清水谷高女出身。

 句集:『光りは空へ』『ももさくら』『五月の窓』『月の梅』『歌時計』  著作:『花日記』『末来へつづく道』ほか

      近づく雪国 座席で踊るハートのA

      宙という美しきもの雪舞えり

      白鷺の張りつめし脚比良は雪

      白髪も罠もまぎれし鵺(ぬえ)の闇

      かがやくはひとの内側月の梅

      春宵の一句すなわちひとりごと

 

花谷 清 (はなたに きよし)

 昭和22年(1947) 大阪府生れ。 「藍」主宰。

 花谷和子に師事。「藍」編集長、副主宰を経て平成23年主宰を継承。工学博士(京都大学)。第15回西東三鬼賞受賞。

 句集:『森は聖堂』 『球殻』 

      曲りたる時間の外へ蝸牛

      虫籠に入り学名で呼ばれたる

      空席と空の存在四月来る

 

馬場移公子 (ばば いくこ)

 大正7)〜平成6年(1994)75歳。 埼玉県生れ。「馬酔木」

 金子伊昔紅、水原秋桜子に師事。昭和21年「馬酔木」入会。昭和25年同人。馬酔木新人会で登四郎,翔、湘子、民等と競い合う。馬酔木新人賞・馬酔木賞・第25回俳人協会賞受賞。※旧制県立秩父高女出身。

 句集:『峡の道』『峡の雲』

     十六夜の桑にかくるる道ばかり

     花咲きぬ峡は蚕飼をくりかへし

     亡き兵の妻の名負ふも雁の頃

     寒雲の燃え尽しては峡を出づ

     黴の香の帯因習を巻く如く

 

馬場駿吉 (ばば しゅんきち)

 昭和7年(1932)愛知県生れ。

 中学時代に俳句をはじめる。橋本鶏二に師事。「年輪」同人。「青」では宇佐美魚目、大峯あきららと第1期同人に推挙された。第2回四誌連合会賞・第24回CBC小嶋賞・第72回中日賞・東海テレビ文化賞受賞。名古屋ボストン美術館館長。医学博士・名古屋市立大学名誉教授(耳鼻咽喉科学)。

 句集:『断面』『薔薇色地獄』『夢中夢』『海馬の夢』『句画集・幻視の博物誌』『耳海岸』  著作:舞台・映像評論集の他、専門の耳鼻咽喉科に関する医学書多数。

     娼婦の日傘黒死病(ペスト)の町の千年後

     いのち減る迅さに秋の水流れ

     舷飾の海馬の夢に春の雪

     水あるは宇宙の奇跡水草生ふ

     太古の火太古の闇や花祭

 

林 桂 (はやし けい)

 昭和28年(1953) 群馬県生れ。 「鬣TATEGAMI」代表

 俳句研究「50句競作」に連続して上位を占めた高柳重信期待の学生俳人として登場。第5回佳作第1席は一人。入選は5回から7回まで該当者なしだった。「歯車」寒雷」から「未定」「吟遊」を経て平成13年同人誌「鬣TATEGAMI」創刊、同人代表。第77回現代俳句協会賞受賞。

 句集:『黄昏の薔薇』『銅の時代』『銀の蝉』『風の国』『はなのの絵本りょうの空』『ことのはひらひら』『動詞』『百花控帖』  著作:『船長の行方』ほか

     クレヨンの黄を麦秋のために折る

     いもうとの平凡赦す謝肉祭

     悔恨の声出す鶴を折つてゐる

     蓮華田に遊ぶ体を地に立てて

       ※

     黄金分割の海へ

     さらば船長

     されど  

     船長

       ※

     今日のムギュ!

     明日の  

     ムギュー

     木霊(こだま)父さん  

       ※

     花薄巨石は神とありにけり

     藪萱草山河神代のままになく

 

林田紀音夫 (はやしだ きねお)

 大正13年(1924)〜平成10年(1998)73歳。 京城生れ。大阪府在住。  「海程」「花曜」

 下村槐太に師事。「金剛」に参加。堀葦男らと「十七音詩」創刊。「海程」、「花曜」等の同人。昭和30年代の関西前衛派の一翼を担い多彩な俳歴を持つ。第11回現代俳句協会賞受賞。※旧制府立今宮職工学校(現府立今宮工科高校)出身

 句集:『風蝕』『幻燈』『林田紀音夫句集』 『林田紀音夫全句集』*福田基(ふくたもとい)渾身の編纂による。

     鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ

     隅占めてうどんの箸を割り損ず

     受けとめし汝と死期を異にする

     黄と青の赤の雨傘誰から死ぬ

     騎馬の青年帯電して夕空を負う

     いつか星ぞら屈葬の他は許されず

     死者の匂いのくらがり水を飲みに立つ

 

林 翔 (はやし しょう) 

 大正3年(1914)〜平成21年(2009)95歳。 長野県生れ。千葉県在住。  「馬酔木」顧問・「沖」最高顧問

 秋桜子に師事。昭和15年「馬酔木」入会、同人。能村登四郎の「沖」創刊に参加。編集長、副主宰を経て最高顧問。俳人協会顧問。第10回俳人協会賞・第20回詩歌文学館賞受賞。※國學院大高等師範部出身。

 句集:『和紙』『寸前』『石笛』『幻花』『春菩薩』『あるがまま』『光年』  著作:『新しいもの、伝統』  

    今日も干す昨日の色の唐辛子

    天皇誕生日未明に鮨を匂はしめ

    いのちふたつのをみなの腹へ一落花

    チエロの音は深淵ときにPの岩魚

    夜の風鈴月の言葉と言ひつべく

 

林 徹 (はやし てつ)

 大正15年(1926)〜平成20年(2008)82歳。 中国青島生れ。広島県在住。  「雉」主宰。

 沢木欣一に師事。「風」入会のち同人。昭和60年「雉」創刊。第40回俳人協会賞受賞。※旧制金沢医科大医学専門部(現・金沢大医学部)出身

 句集:『架橋』『直路』『群青』『飛花』『荒城』『石蕗の花』『林徹全句集』 著作:『雉山房雑記』ほか

      貨車の扉に藁はみ出して雪国へ

      種蒔ける影も歩みて種を蒔く

      翅となり目玉となりて蜻蛉とぶ

      豹涼し肩が歩めば背がつづき

      毀傷せし不孝の裸拭ひけり

 

原 和子 (はら かずこ)

 昭和7年(1932)〜平成30年(2018)85歳。 東京都生れ。神奈川県在住。 「鹿火屋」会長

 原コウ子、原裕に師事。平成11年「鹿火屋」継承。創刊100号を機に平成28年、主宰を長女の原朝子に譲り会長に就く。

 句集:『素足』『天網』『善知鳥』『湖心』『琴板』

     天網にかからぬ蝶の悴めり

     かはらけを月に晒して弥生かな

     残照に散るを怺へしさくらかな

 

原 コウ子 (はら こうこ)

 明治29年(1896)〜昭和63年(1988)92歳。 大阪府生れ。「鹿火屋」

 原石鼎の妻。石鼎没後、「鹿火屋」承継主宰。

 句集:『昼顔』『胡卉』『胡色』『原コウ子全句集』

     飯のかほり口辺にあり鵙高音

     桐の花うす化粧して老いんかな

     夏帯の流れるごとき青畳

 

原子公平 (はらこ  こうへい)

 大正8年(1919)〜平成16年(2004)84歳。 北海道生れ。東京都在住。  「風涛」主宰。  

 馬酔木に投句。のち、加藤楸邨に師事。「寒雷」同人。戦後沢木欣一らと「風」創刊。「風」「秋」「海程」の同人。昭和47年「風涛」創刊主宰。現代俳句協会顧問。第12回現代俳句協会大賞受賞。※旧制三高・東京帝大仏文科出身

 句集:『』浚渫船『良酔』『海よ恋人』『酔歌』『夢明り』

     戦後の空へ青蔦死木の丈に満つ

     白鳥吹かれ来る風媒の一行詩

     ちちろ一鳴きして止む草魂の淡し

     海軍のような青空苺を染め

     寒梅や手鏡に持つわが首級

 

原田 喬 (はらた たかし)

 大正2年(1913)〜平成11年(1999)86歳。福岡県生れ。静岡県在住。

 加藤楸邨に師事。父、原田濱人の手ほどきで俳句を始める。昭和23年楸邨の「寒雷」に入会。昭和39年同人。昭和50年「椎」創刊主宰。妻は俳人の九鬼あきゑ。※旧制横浜高商(現・横浜国立大学経済学部出身。

 句集:『落葉松』『伏流』『灘』『長流』『原田喬全句集』 著作:『曳馬野雑記』ほか

     固く封じてレーニン全集曝書せず

     父の鬼はわが鬼なりき桜咲く

    

     蝉はみなからりと死んでしまひけり

     フォッサ・マグナの南端を秋の蛇

     天山のごと聞かせてよ渡り鳥

 

原 雅子 (はら まさこ)

 昭和22年(1947) 東京都生れ。 「梟」

 昭和48年「寒雷」入会。中断後「炎環」同人を経て「梟」同人。第51回角川俳句賞受賞。

 句集:『日夜』『束の間』

     夭折に遅れし体泳ぐなり

     秋暑く引けばぞろぞろ万国旗

     滞空のじんじんしたる蜻蛉かな

     母はまだ霞を掃いてゐたるなり

 

原 裕 (はら ゆたか)

 昭和5年(1930)〜平成11年(1999)69歳。 茨城県生れ。神奈川県在住。  「鹿火屋」

 高校時代「鹿火屋」に投句。のち原石鼎に会い編集を手伝う。請われて原家の養子となり、昭和45年「鹿火屋」を継承主宰。*埼玉大文理学部出身

 句集:『葦芽』『青垣』『新治』『出雲』『正午』  

    渡り鳥わが名つぶやく人欲しや

    鳥雲に入るおほかたは常の景

    みちのくの闇をうしろに牡丹焚く

    石蹴つて鎌倉の冬起こしけり

    はつゆめの半ばを過ぎて出雲かな

 

原 石鼎 (はら せきてい)

 明治19年(1886)〜昭和26年(1951)65歳。 島根県生れ。神奈川県在住。 「鹿火屋」

 ホトトギスに投句。大正時代の花形俳人の一人。「鹿火屋」を創刊主宰。のち、主宰を夫人の原コウ子が継承する。

 句集:『花影』『深吉野』『原石鼎全句集』ほか  著作:『俳句の考へ方』

       頂上や殊に野菊の吹かれ居り

       花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月

       淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守

       秋風や模様のちがふ皿二つ

       青天や白き五弁の梨の花 

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